写真:まなべ宗一郎

最新のエントリー

シークレット・サンタ。

2009年12月 9日

たまたまついていたテレビ番組で、「シークレット・サンタ」の話がありました。
シークレット・サンタと呼ばれた、アメリカの富豪ラリー・スチュワートの物語です。
見始めたら、あまりにも引き込まれ、ついつい目頭が熱くなりました。
ちょっと長いですがこんな話です。


ラリー・スチュワートは1948年にミシシッピー州で生まれました。幼い頃に両親を亡くし、生活保護を受けながらの貧しい暮らしをしていたため、一ドルでも多く稼ぐためだけに必至に働いていました。

23歳で化粧品販売の会社を設立しましたが、その年のクリスマスの直前に会社はあえなく倒産。
多くの借金を抱え、8日間飲まず食わず。空腹に絶えかねたラリーは無意識のうちにレストランに入っていました。
ラリーは食事を済ませ、伝票を見て我に返ります。お金を持っていませんでしたが、財布を落としたかのようにポケットを探していると、店主がやってきます。
無銭飲食で警察に突き出されるだろうと覚悟するラリー。しかし店主は、「落としてましたよ」と20ドル札を差し出しました。
ラリーは店主の勘違いだと思い、店主から20ドル札を受け取って支払いを済ませました。

翌年、再起を賭けて警備会社を設立し、一所懸命に働いたラリー。しかしその会社も3年で倒産してしまいます。

27歳のクリスマスに、ラリーは銀行強盗することを決意します。いざ銀行でお金を要求しようとしたその時、窓口でお金を預けようとしている少女がいました。少女が預けようとしていたのは20ドル札…

20ドル札を見たラリーは、あのクリスマスの日にレストランで店主から20ドル札を受け取ったことを思い出しました。あの時の20ドル札が本当に落とし物だったのかを知りたくなったラリーは、銀行強盗を中止してレストランへと向かいます。

ラリーは、4年前にレストランを訪れた自分のことを覚えているかレストランの店主に聞きました。店主の答えは「クリスマスは誰でも幸せになれる日なんだよ。メリークリスマス」
ラリーは、あの時の20ドル札が店主からのクリスマスプレゼントだったと気付いたのです。

これまで「幸せになる」「成功する」ということは「1ドルでも多く稼ぐこと」だと思っていたラリーは気付いたのです。あの20ドル札のおかげで、空腹をしのげ、犯罪に手を染めずにすんだことに。そして、他人に施すことの大切さを悟るのでした。

その後、会社に就職してセールスマンとして働き出します。決して豊かではありませんでしたが、ささやかな幸せを手に入れました。

そして31歳のクリスマスの日。
ラリーは銀行へ立ち寄り、預金を全額20ドル札で下ろしました。
そして、白いオーバーオールに赤いスウェット、赤い帽子にサングラスという格好で街に出かけ、貧しい人を見つけては20ドル札を配って歩いたのです。翌年、また翌年とクリスマスにラリーは素顔を隠して正体を明かさず20ドル札を配っていたため、いつしか「シークレット・サンタ」と呼ばれるようになりました。

ひとつラリーにあった悩みは、シークレット・サンタの活動を妻にも内緒にしていたこと。
年末に妻から預金が無くなっていることを聞かれると、「年の瀬で何かと物いりだった」と答えるラリー。その答えに、妻は深くは追求しませんでした。

翌年、ラリーは遠距離電話の会社を設立します。
お金儲けのためではなく、遠く離れて生活している家族がつながるのに役に立てばという奉仕の精神で会社を設立したのです。

その後もラリーはシークレット・サンタを続けます。
結婚8年目のクリスマスのこと。シークレット・サンタをしていたラリーは妻に呼び止められます。
お金を配っていることが妻にバレてしまったラリー。お金を配っていることを妻が許すはずもなく、シークレット・サンタもこれでお終いかと思って「すまない…」といったその時、妻は「何で謝るの?困っている人を助けることは素晴らしいことでしょう。多くの人を助けられるように一緒に頑張りましょう!」と応援してくれたのです!

妻の言葉はラリーにとって最高のクリスマスプレゼントでした。

それからも、家族に支えられながらラリーはシークレットサンタを続けます。他人のために働いていると、不思議と会社も順調に大きくなりました。会社はやがて年商10億円の大企業に成長。ラリーは大富豪となったのです。それでもラリーはクリスマスになるとシークレット・サンタを続けていました。

2001年にニューヨークで同時多発テロが起こると、その年のクリスマスにはニューヨークにシークレット・サンタが現れて20ドル札を配りました。
2005年にアメリカ南東部でハリケーン被害が起きると、ミシシッピー州にシークレット・サンタが現れました。

そして突然、これまで匿名で続けていたシークレット・サンタは2006年に正体を明かしたのです。
ラリーは食道癌で残り4ヶ月の余命宣告を受けており、「他人に施すことの大切さ」を世界中の人に伝えるためでした。シークレット・サンタが正体を明かした反響は大きく、2日間で全米から7000通もの手紙が寄せられました。

その年のクリスマス。ラリーはシークレット・サンタとして街に現れ、20ドル札を配りました。そしてこのクリスマスがラリーにとって最後のクリスマスになってしまいました。2007年1月12日。58歳でラリーはこの世を去ってしまったのです。

27年間で700万人に13万ドル(一億五千万円以上)を配ったラリー・スチュワート。自分のためでなく、他人のために行う行為が、結果として自分に返ってくること。人を幸せにすることが、自分を幸せにすることにつながることを教えてくれました。

ラリーが亡くなった今も、クリスマスには赤い帽子を被り、貧しい人に20ドル札を配る多くの「シークレット・サンタ」が街に現れるようになりました。ラリーの意思は生きているのです。


ラリーの行いも素晴らしいと思いましたが、それを知ったときの奥さんの言葉は本当にジーンときました。
最近は「自分さえ良ければ良い」的な考えを持つ人が増えたといわれますが、人は一人では生きていけません。
みんな心のどこかには誰かの役にたちたい・人のためになりたいという気持ちがあると私は思います。そして自分の周りにいる人がそれを支えてくれたら、本当に大きな力が出せるのでしょう。

なんだか「頑張ろう!」と力が湧いてきました。

コメント (0) | トラックバック (0)

食の文化祭の写真展。

2009年12月 9日

秋に実施した、「食の文化祭」の写真展が、JKカフェにて開催されていたので覗いてみました。

%E9%A3%9F%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E7%A5%AD%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B1%95.jpg

お二方の作品が壁に貼られていました。
どちらの方の写真からも、楽しそうな笑顔・笑顔・笑顔…

皆さん喜んでくれていたんだなとうれしく思いました。

実際イベントを行っているときは、どうしても周りをゆっくりと見回すことができていないので、こうして写真で会場の雰囲気を知ることができるのはありがたいことです。

感謝です。

コメント (0) | トラックバック (0)

忘年会も数あると…

2009年12月 8日

師走に入り、早くも忘年会が始まりだしたこの頃です。
皆さんの忘年会の予定はいかがですか?

どんなに楽しい忘年会も、さすがに連発するとお酒が残ってしまいますよね。
私も12月の忘年会の予定を数えてみたら、9件入っておりました。

ところが上には上がいらっしゃいます。
高槻で活躍されておられるとある方は、この12月の忘年会の予定はすでに17件!!!
おそらくこれから予定は増えるでしょうから、12月の31日間でおそらく20日くらいはお酒を飲むことになるのでしょう。
これはすごいですね!

くれぐれも飲み過ぎに注意して、ご自愛頂きたいものだとしみじみ思いました。

私も、飲みすぎには注意します。

コメント (0) | トラックバック (0)

シニア隊、本格稼動!

2009年12月 7日

昨日の子ども会クリスマス会の花火の後片付けに、朝一番で桃園小学校のグランドへ。
さすがに140発の打ち上げ花火をあげると、グランドに筒やふたが落ちています。

地域の皆さん、子ども会のお母さん方と拾って、30分くらいで片付きました。
みんなでやると早いですね!

片付けている間に子どもたちもどんどん集まってきて、グランドはサッカーをやる子どもたちでわいわいなっていました。みんな元気です!


その後は「高槻ジャズストリートシニア隊」の皆さんの活動に同行しました。

シニア隊への参加メンバー募集のポスターとビラを、高槻のすべての公民館・コミュニティセンターへ配布してまわる作業です。

%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%9A%8A.jpg
(皆さんで依頼の挨拶まわり。私は運転手として皆さんを送る役割です)

しかし、皆さん本当にお元気!!
自分の同年代より覇気がありますね!

毎度ボランティア不足に悩むジャズストリートの起爆剤になってくれることを大いに期待します。


夜は、京阪地区の大学の同窓会の総会に。

こちらもみなさんシニアと言われる世代の方々が参加されておられましたが、元気元気!!

%E4%BA%AC%E9%98%AA%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E4%BC%9A.jpg
(締めに謡をされた先輩)

久しぶりにお会いできた先輩方に挨拶ができ、うれしく思いました。


「高齢社会」は負のイメージで語られることが多いですが、こうして覇気のあるシニアの方々が増えれば、すごい力になると思います。
私らの世代も負けられませんね。
教えを頂きながら、しっかりと頑張ります!

コメント (0) | トラックバック (0)

子ども会のクリスマス会。

2009年12月 6日

桃園校区子ども会連合会のクリスマス会を行いました。

桃園小学校には100名以上が集まり、70名を超える子ども達がわいわいと楽しい時間を過ごしました。

キャンプのときにもお世話になったリーダーさんが8人参加してくれました。みんなで一緒におもしろいゲームをやったり、お母さん方が段取りしてくれた美味しいシュークリームをみんなで食べたりと、楽しい時間を過ごしました。

一通りおやつもすんだら…
サンタさん登場!!

%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9.JPG
(プレゼントを配るサンタさん)

このサンタさんは、子ども達が絡まってくるわ、ひげや帽子をとろうとするわ、とにかく大変です。
すぐ正体を暴きたがるので…

みんなで集合写真をとった後、暗くなったグランドへ。

夏のお祭りがインフルエンザで中止になったため残っていた、打ち上げ花火を楽しみました。

%E5%86%AC%E3%81%AE%E8%8A%B1%E7%81%AB.JPG

冬の花火も、なかなか幻想的で良かったですよ。
お母さんの中で、「寒い中で花火を見ると、なんだかあったかい気持ちになりました」とおっしゃられた方がいましたが、まさにそんな感じです。

子ども達にとって、この時期の楽しいイベントとなりました。
いつまでも忘れない、思い出のひとつになってくれてたらうれしいです。


私はこの後、高槻ジャズストリートの忘年会に向かい、ジャズストの忘年会が済んだら今度は会社の関係の忘年会へと、忘年会をはしごすることになりました。

忘年会を連発すると、どうも飲みすぎるように思いました…

コメント (0) | トラックバック (0)

真鍋 宗一郎

まなべ そういちろう

昭和52年9月28日、福岡県に生まれる。早稲田大学商学部卒業。高槻市出丸町在住。

家族は妻と3人の子どもたち。

システム会社勤務の後、衆議院議員事務所にて秘書として活動する。現在、高槻まちづくり株式会社社員。高槻ジャズストリート実行委員やわくわくストリート実行委員、高槻まつり実行委員として、まちづくりに関わる。

まなべ宗一郎事務所

  • 住所: 〒569-0803
    大阪府高槻市高槻町9-26
  • 地図はこちら
  • TEL: 072-686-2772
  • FAX: 072-686-2773

最近のエントリー

カテゴリー

アーカイブ

RSS配信

ページの上に戻る